「ことだ」和「ものだ」的區別

在日語語法中,ことだ」和「ものだ」有什麼區別呢?本站小編爲大家一一揭曉,一起來看看吧!

「ことだ」和「ものだ」的區別

  一)、表示感嘆,兩者都可使用,但用法有區別。

用ものだ的形式,表示一般意義上的感嘆,此時一般不能用ことだ代替。而ことだ則表示就事論事的感嘆,一般用句型“なんと(或なんて、どんなに)……ことだろう(或ことか)”此時也一般不能用ものだ代替。例如:

1、赤ちゃんって可愛いものだ(×ことだ)ねえ。/嬰兒啊,那真可愛。(表示一般的感嘆,對所有嬰兒而言)

2、この赤ちゃんはなんと可愛いことか(×ものだ)、まるでお人形さんみたい。/這嬰兒多可愛啊,就好象布娃娃似的。(就事論事的感嘆,就對眼前的嬰兒而言)

3、月日のたつのが早いものだ(×ことだ)ね。/日子過得真快啊。

4、どんなにあなたのことを心配していたことだろう(×ものだ)。/我是多麼地擔心你啊。

  二)、表示忠告,兩者都可用,意思差不多,但用法有區別。

ものだ表示社會道德常識,人人都應該遵守的規範,表示大道理;而ことだ則表示就事論事,不屬於大道理。中文意思都是“應該……”。例如:

1、先生に會ったら、挨拶をするものだ(×ことだ)。/見到老師你應該打招呼。(對所有老師都應這樣,屬於禮貌常識,應該做。)

2、張先生に會ったら、挨拶をすることだ(×ものだ)。/見到張老師你應該打招呼。(只適用於張老師,對其他老師可不必,表示就事論事。)

3、子供は親の言うことを聞くものだ(×ことだ)、親に逆らうものではない(×ことではない)。/小孩應該聽父母的話,不能違拗父母。(表示對所有孩子而言)

4、お前は親のことを聞くことだ(×ものだ)、親に逆らわないことだ(×ものだ)。/你要聽父母的話,不要違拗父母。

  三)、ものだ可以表示人們的一般認同,意爲:“總是……”:“難免……”、本來就是……。ことだ沒有這種用法。例如:

1、年を取ると、気が弱くなるものだ(×ことだ)。/上年紀了,難免就膽小了。

2、人間は死ぬものだ(×ことだ)。/人總是要死的。

3、水は本來低きに流れるものです(×ことです)。/水本來就是往低處流的。

4、赤ちゃんは泣くものだ(×ことだ)。/嬰兒就是愛哭的。

  四)、ものだ接在動詞過去時後,表示對往事的緬懷、回憶;ことだ沒有這種用法。例如:

1、子供のとき、よくこの川で泳いだものだ(×ことだ)。/小時侯,我常在這條河裏游泳來着。

2、學生のごろよく貧乏旅行をしたものです(×ことです)。/學生時代,經常進行窮困旅行。

3、彼は若いごろは周りの人とよく喧嘩をしたものだ(×ことだ)が、今はすっかり穏やかになった。/他年輕時經常跟周圍的人打架,可現在完全變得溫和了。

4、國小校の時代、彼のいたずらには、先生たちが手を焼いたものでした(×ことでした)。/國小時,老師對他的淘氣很沒有辦法。

  五)、ものだ接在願望助動詞たい後,表示強烈的願望。ことだ沒有這種用法。例如:

1、小さい時に戻りたいものだ(×ことだ)。/真想回到小時侯。

2、そのお話はぜひ伺いたいものです(×ことです)。/很想聽一聽那件事。

3、海外へ行かれるときには、私も一度、ご一緒したいものです(×ことです)。/您去海外的時候,我也很想一起去。

4、今の私を、死んだ両親に見てもらいたいものだ(×ことだ)。/真想讓死去的'父母看一下現在的我。

  六)、以感嘆的語氣表現某種事實,可帶有讚歎、痛惜等語感。「ことだ」無此用法。例如:

1、「何かご用でもあって?」「いえ、別に。ただ近所まで來たものです(×ことです)。」/“有什麼事嗎?”“不,沒什麼事,我只是路過這附近。”

2、兵隊さんがだらしない行いをするのもよくあるものだ(×ことだ)。/當兵的行爲不檢點也是常見的。

3、それには親もすっかり困ったものです(×ことです)。/對此父母也傷透了腦筋。

4、おやじは一銭を十銭と間違えたものらしい(×ことらしい)。/老頭子好像把一分硬幣錯認成一角的硬幣了。

5、A社とB社は合併(がっぺい)することになったらしい。C社に対抗するとはいえ、思い切った決斷をしたものだ(×ことだ)。(選自00年一級語法)/據說A公司要和B公司合併,雖說是要與C公司抗衡,但也不失爲一個大膽的決斷。