日語生活實用詞彙辨析之「におい」和「香り」的區別

日語中有很多詞語的意思相近又相通,但是除了日本人天生就能輕鬆運用,對於初學日語的我們不努力學習,可就要被這些詞繞"蒙圈"了呢。下面是yjbys小編爲大家帶來的關於「におい」和「香り」的區別的知識,歡迎閱讀。

日語生活實用詞彙辨析之「におい」和「香り」的區別
  「におい」和「香り」的區別

在日語中,「匂い」與「香り」同樣都有香味的意思,生活中似乎「におい」的用法更爲廣泛,不過最近的播音員和記者更喜歡使用「香り」一詞,下面來看看這組詞是如何區別的吧。

(2013年7月に)早稲田大學非常勤講師で『三省堂國語辭典』の編纂者の飯間浩明さんと、フリーアナウンサーの梶原しげるさんと一緒に飲んだ際に、梶原さんが、「最近、アナウンサーやリポーターがすぐに『香り』という言葉を使うが、何でもかんでも使うのは、違うのではないでしょうか?」という話をされました。

(2013年7月)上次我和早稻田大學外聘講師、《三省堂國語辭典》編者飯間浩明,以及自由播音員梶原茂一起喝酒的時候,梶原說:"最近播音員或記者總是不分場合直接使用「香り」(香)這個詞,難道不覺得不妥嗎?"

たしかに「におい」には「良いにおい」と「悪いにおい」があり、漢字で書く時は、

的確「におい」(氣味)同時有「良いにおい」(好聞)和「悪いにおい」(難聞)兩種意思,寫成漢字的時候是:

*「良いにおい」(好聞)=「匂い」(香)

*「悪いにおい」(難聞)=「臭い」(臭)

と書き分けますね。以前は「臭い」は「くさい」しか、常用漢字表に「訓読み」がなかったのですが、で2010年11月に「におい」も加えられましたから使い分けできるようになりましたね。そして、「良い匂い」=「香り」ということなんですが、何でもかんでも褒めると、「価値が逓減する」ということでしょうか。

這樣分開書寫的。以前的「臭い」(臭味)在常用漢字表上的"訓讀"只有「くさい」一種,但之後2010年11月將「におい」也添加到其訓讀中,纔將二者的使用區分開,於是「良い匂い」(好聞)=「香り」(香),但如果所有的場合都使用褒義,難道不是降低了「香り」的價值嗎?

私も、「たしかに。似たようなことで言うと、グルメリポートで、何でもかんでも『香ばしい』というのも気になります」と話したところ、飯間さんが、専門分野である「古典」(アバウトな紹介)から、「『源氏物語』には『匂宮』と『薫君』という登場人物が出てきます。」という話をされました。

我也說了自己的想法:"的.確。類似的例子有,美食報告萬年不變所說的「香ばしい」(香氣撲鼻)這一詞也讓我很在意",對此,飯間從專業領域'古典'(大概的介紹)來解釋了二者的區別,他說:"《源氏物語》中有稱爲'匂宮'和'薫君'的登場人物"。

『源氏始物語』をちゃんと読んだことのない私にとっては、「フムフム、ちょっと名前は聞いたことがあるな」という感じでしたが、飯間さんによると、「『におい』という言葉は、雅びな『歌の世界』では、しばしば効果的に使われてきました。有名な本居宣長『敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花』という歌も、『におい』といっても『嗅覚』ではなく、『照り映える』という『視覚』に訴えた表現です。これは伝統的にあるんですね。『においたつ霊峯富士』という上品な言葉も、別に『におい』がしているわけではありませんね。そうそう、それに、古(いにしえ)の京の都では、『におい』が『かおり』を打ち負かしたという話もあるんです。『源氏物語』に登場する『浮舟』の物語で、彼女を巡って『匂宮(においのみや)』と『薫(かおる≒かおり)』が戀のさや當てをし、浮舟の心を奪ったのは、『かおり(薫)』ではなく『におい(匂宮)』。つまり、勝ったのは『におい』だったということなんです。」

對於沒有好好地通讀《源氏始物語》的我來說,只是發出"原來如此啊,似乎有聽過這樣的名字"的感嘆。但根據飯間的說法,"「におい」(氣味)這個詞,多次有效地被運用在高雅的'和歌世界'裏。有名的本居宣長『敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花』(若問敷島大和心,唯見朝日映山櫻)的歌中「におい」(氣味)並不代表"嗅覺", 而叫作『照り映える』(映照),是訴諸視覺的表現。自古以來就有這種習慣。『においたつ霊峯富士』(瀰漫着香氣的富士神山)這個高雅的詞句中,也並非是聞到了氣味的意思。對了對了,在古代的京都,有着「におい」(氣味)打敗了「かおり」(香氣)這樣的說法。在《源氏物語》登場的《浮舟》 物語中,『匂宮(においのみや)』和『薫(かおる≒かおり)』圍繞着浮舟的愛戀與追求,(最終)奪得芳心的不是'かおり(薫)'而是'におい(匂宮)'。也就是,贏的一方是「におい」(氣味)。"

なーるほど!と言ったものの、これはちょっと、強引な感じもしましたが。

原來如此啊!雖是這樣說,但這似乎有些牽強啊。

しかし、「におい」は「嗅覚だけではない」「視覚的なものにも使えた」ということは、參考になりました。

但是,「におい」(氣味)指的「嗅覚だけではない」(不僅是嗅覺),「視覚的なものにも使えた」(同樣用於視覺上)這點是值得參考的。

それと、後で思ったのですが、「悪いもの」もある「におい」という言葉を嫌って、「香り」を好む傾向は、もしかしたら「プリッグ·清潔志向」の現代の傾向を表しているのかもしれませんね。

另外,大家討厭同時有着「悪いもの」(不好的)意思的「におい」(氣味),更喜歡「香り」(香氣)的傾向,或許是表達着現代社會的"潔癖傾向"吧。